2025年 9月号【148号】2面 ジオパーク探検隊/郷土の偉人 森鴎外
2025年09月29日
豊かな立久恵峡を満喫/ジオパーク探検隊に親子38人参加
島根半島・宍道湖中海(国引き)ジオパーク協議会が主催する「ジオパーク探検隊 立久恵峡満喫ツアー」が8月22日、出雲市乙立町の立久恵峡で開催されました。市内外の小学生親子38人が参加し、立久恵峡の自然の特色を学んだり、川遊びをしたりして、自然の豊かさを体感する一日を過ごしました。
同協議会では、県東部の地質遺産の価値を伝えようとジオパークツアーを毎年開催。5回目の今年は、国の名勝・天然記念物で県立自然公園にも指定されている立久恵峡を目的地としました。
参加者は初めに立久恵峡を散策。神戸川によって削られてできた奇岩柱石がそびえ立つ地形の特色、修験の場であった霊光寺や五百羅漢の歴史などについて、ガイドから説明を受けました。
続いて、「立久恵峡わかあゆの里」前の神戸川に移動。スタッフが石を積み上げて造った長さ20メートル程の堰でアユのつかみ取りをしたり、川に入って生き物探しや川遊びを楽しみました。その後の昼食では捕まえたアユの塩焼きを味わいました。
松江市ジオパーク推進室の福田英樹室長(54)は「子どもたちには地域に素晴らしい自然があることを知ってほしい。将来にも残そうという気持ちを持ってくれたらうれしい」と話していました。
〈写真:川遊びを楽しむ参加者=8月22日、出雲市乙立町の「立久恵峡わかあゆの里」前の神戸川〉
郷土の偉人(27)
森 鴎外(1962~1922)
明治・大正時代の文豪
森鴎外は、本名を森林太郎と言い、軍医を務めるかたわら、小説家や翻訳家などとして多くの分野で活躍した偉人です。
江戸末期の1862(文久2)年に津和野藩に仕える医者の長男として生まれ、幼少から学問に励みました。東京医学校(現在の東京大学医学部)を卒業後は陸軍の軍医となり、1884(明治17)年から4年間、ドイツに留学しました。そこで鴎外は、ドイツの進歩した医学とともに文学や芸術も学びました。
帰国後は、軍医として働きながら創作活動を始め、初作品として、1890(明治23)年、ドイツ留学の体験をもとに書いた小説「舞姫」を発表しました。
その後も創作活動に打ち込み、「山椒大夫」や「高瀬舟」など、数多くの名作を執筆。近代日本文学に大きな影響を与えました。陸軍を退いた鴎外は、1922(大正11)年、61歳の生涯を閉じました。
鴎外は亡くなる直前、友人に、「私は石見(島根県西部)出身の森林太郎として死ぬのだから、墓には森林太郎墓とだけ書いてほしい」という遺言を残します。これは、鴎外自身があらゆる名誉から離れ、一人の人間として生きたかったという思いが込められていると言われています。
写真(上) ドイツ留学時代の森鴎外(国立国会図書館 提供)
写真(下) 森林太郎の墓(津和野町・永明寺)












